千代田区の人口は、令和5年2月1日現在、68,136人となっており、世帯数は38,715世帯となっており、人口・世帯数・人口密度で東京23区中一番少ない数となっています。
昼夜間人口比率は、住んでいる人の数を夜間人口、通勤や通学で行き来する人を加減した数を昼間人口とし、夜に対する昼の比率を表しますが、千代田区は企業や役所が集中し、他の自治体からの通勤者が多いため、昼の人口は夜の約18倍となります。
面積については11.66㎢で23区中19位となっています。
千代田区は、東京都の中央部に位置する特別区で東京都の都心部にあたり、内閣総理大臣官邸、国会議事堂、最高裁判所をはじめとする日本の首都機能が集中しています。
また、丸の内をはじめとした一帯は大企業や金融機関が集積する日本最大のビジネス街であり、日本経済の中心を担っています。
中央区・港区とともに「東京都心」、「都心3区」とされています。
永田町や霞が関を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の政治・行政・司法の中心地となっており、日本屈指のオフィス街である丸の内や大手町には、3大メガバンクの本店や我が国を代表する大企業の本社が多数集積し、日本の金融・経済の中核を担い、丸の内には東京駅があり、日本の中央駅として多数の新幹線・在来線の起点となっています。
千代田区は公園数が23か所と少ないですが、区の南部には皇居(かつての江戸城)があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占めています。
皇居西側を中心とした旧麹町区の番町地区は都心屈指の高級住宅街として知られています。
千代田区は、旧・麹町区と旧・神田区の合併により誕生しました。区名は江戸城の別名である「千代田城」に由来するとのことです。
現在の皇居に江戸城が置かれ徳川幕府の本拠地として政治の中心になり、江戸城の周辺には(大名屋敷)などの江戸の城下町が整備された。
明治維新後も新政府が大名屋敷跡に官庁街を開設して首都機能を置くなど「東京」の中心地としており、日本の政治の中心が引き続き置かれることになりました。
神田地区は、江戸時代から幕府御用の儒学者が集まった昌平校があり、民間の学者も多く住んで私塾が多数あった学問の盛んな地でしたが、近代以降も私立大学や予備校などが多数立地する文教地区となっており、御茶ノ水界隈は日本最大の学生街となっています。
こうした伝統の影響もあり、神田の一角にある神保町には世界最大級の古書店街である神田古書店街が形成され、神田神保町や隣接する一ツ橋地区には小学館や集英社などの出版社も多くあります。
江戸時代に火災の延焼を防ぐため、約9,000坪の広場が作られて遠江の秋葉神社が勧請されたことから、この地区は秋葉原と呼ばれるようになり、第二次世界大戦に露店商が集積し、そこから電気部品を扱う店舗が集まる「秋葉原電気街」が発達したとのことです。
現在、秋葉原は電気街としての側面も持ちつつ、世界的に有名な「オタクの街」「サブカルチャーの街」として発展し、世界中から多くの観光客を呼び寄せています。
維新に倒れた志士の霊をはじめ、今日まで日本が関係した戦いの戦没者の霊をまつり桜の名所でもある靖国神社、約1300年の歴史がある由緒ある神社である神田明神、日本初の西洋式公園で、都内の代表的都市公園である日比谷公園、皇居外苑西側に位置する濠(ほり)でこちらも桜の名所でもある千鳥ヶ淵、様々な武道の競技やアーティストのコンサートなどたくさんのイベントが行われる日本武道館があります。
1891年に丸の内が三菱に払い下げられて、政府機関などに隣接することからオフィス街が建設されていきました。
政府との間での人脈構築や情報の収集しやすさから当地区に大手企業の本社が多数立地するようになり、経済面でも中心的な機能を果たすようになりました。
その結果、丸の内や大手町、日比谷(有楽町)の東京駅界隈のビジネスセンターは、3大メガバンク(都市銀行)の本店や全国紙の新聞社をはじめ、大手製造業や大手総合商社などの巨大企業の本社機能が集中しているほか、経団連や農協などの経済団体の本部も集結している日本経済の中心的地区よなっています。
《有名スポット一例》
・東京駅 |
東京都千代田区丸の内 |
・靖国神社 |
東京都千代田区九段北3-1-1 |
・千鳥ヶ淵 |
東京都千代田区北の丸公園1-1 |
・日本武道館 |
東京都千代田区北の丸公園2-3 |
・神田明神 |
東京都千代田区外神田2‐16‐2 |
・国会議事堂 |
東京都千代田区永田町1-7-1 |